「おれは、そういうのやだ!」
父は、中卒で、自動車部品工場の工員として定年まで働きました。世渡りが上手くなく、役職についたりするのが、いやだったのです。そのくせ、父は、私が小学6年生のころになると、よく言いました。
「おまえ要領わるいなぁ。真面目すぎる。かたぶつだ。もう少しうまくやんなきゃ、だめだぞ」決して、ほめることはなかったのですが、優しくさとすようなもの言いでした。
父は五人兄姉の長男。車いじりが好きで、車のことはとても詳しかったのです。三人の叔父は、車のことで、父によく相談に来ていました。ときには、叔父の子どものことを相談され、「じゃあ、おれが話してみるよ」と父が乗り出すこともありました。
相談されているとき、父がいつも優しそうに話していたのが印象的でした。
「お父さん、頼りにされてるなぁ」
小学校3年、4年、6年の担任の先生は、O先生。当時25歳くらいの男の先生でした。温厚で、やさしく、あたたかい人。
友だちから私は「まっちゃん」と呼ばれていました。それを聞いて、先生も「まっちゃん」と親し気に呼んでくれたことが、とてもうれしかったのです。 昼休みに、友だちとO先生のところに質問に行くと、いつもやさしく答えてくれました。
「将来、O先生みたいになりたい!」
母は、8人兄姉の末っ子。母が生まれてすぐに、母親を亡くしました。20歳ほど離れた兄や姉に、「あの子には、いい想いをさせたい」と大事に育てられました。
母も、その想いに応えるべく、なんでも頑張る人でした。地元の有名な高校に入り、バスケットボール部にも入っていたのです。頑張って努力して結果を出すという信念の人でした。
一方で、母は、人のことをよく見て、人の話をよく聴く人でした。たとえば、運動会のとき「Aくんは足が速いねぇ」とか、近所のおばさんが話したセリフをそのまま憶えていたりしました。
小学校のころから、私は、母の意向で、そろばん、スイミング、学習塾に通っていました。「みんなと同じようにできないといけない」という母の意向に従っていたのです。
テストの点数がわるいと、母から「なんで、できないの!なんでそんな点数取ってくるの!」としかられるのが、とてもこわかったです。母からしかられるたびに、「なんで自分はできないんだ...」と自分を責めるようになっていきました。
ところが、母の中には、私に「将来、いい想いをさせたい」という強い想いがあったのです。
小学校のとき、祖母に買ってもらったマンガ日本の歴史の影響で、中学、高校と戦国時代にとても興味をひかれました。「三国志」やゲーム「信長の野望」に熱中しました。武将たちが、戦いに勝って、結果を出すことに、よろこびを感じていたのです。
一方で、母からは、「一番になりなさい」「できるようになりなさい」と言われ続け、「負けてはいけない」という不安がありました。
「期待に応えないといけない...」
高校は、母が行かせたかった地元のトップ高校に合格できました。合格したことを知らせると、母は、ものすごくよろこんでくれました。
ところが、大学受験は、すべて不合格。結果を出せませんでした。その知らせを聞いた母に泣かれたことが、とてもつらかったです。
浪人すると、次は必ず結果を出すために、静岡の富士市から横浜の予備校まで通うことにしました。「勉強して合格するしか道はない」その想いで、友だちも作らず、ひたすら勉強に明け暮れました。 勉強以外何もしない、何も考えない。人としての感情を抑えて生活していました。人として生きていませんでした。
母は、地元の国立大学に入り公務員になって、地元で就職して欲しい想いがありました。
私は、もう母の思い通りに生きるのがいやだ、親元を離れたい、一心で、東京の大学を受験しました。第一志望の大学に受かり、初めての東京生活。
大学での4年間は、浪人時代に人として生きてこなかったことを取り戻すべく、友だちをたくさん作りました。人とつながることや世界が広がることの楽しさを味わいつくした4年間でした。
約10年間、法人営業として、顧客に徹底的に寄り添った営業スタイルを貫きました。結果「増田さんに研修のことをまず相談します」と言われる存在にまでなりました。
その後、多くの新規社員研修案件の受注を果たし、トップセールスとして表彰を受けた経験を評価され、33歳で営業課長に昇格しました。4人の部下を持ち、課長としての期待に応えるべく仕事にまい進していました。
2人の部下は、私の言うことを受け止めて、結果も出してくれました。ところが、もう2人の部下は、私の指示を聞かずに、勝手に部長に相談して、私の指示と違うことをする。
ある時期から、疲れが抜けない、耳が聴こえない、鼻水が止まならい、そして、やる気が出ないという状況になりました。そんな姿を見た、私の指示を聞かない部下から、「増田さん、ちゃんと仕事してくださいよ」とまで言われてしまう始末。
もう仕事ができないという状況になり、総務部長に相談しました。病院にも行き自律神経失調症と診断され、3週間会社を休むことになりました。「期待に応えるように、ちゃんとやらなければならない」というプレッシャーがあったのです。そのプレッシャーから逃げ出せると思うと、ほっとしました。
2014年に、営業ではなく、自ら研修講師としてお客さんと関わりたいと思い、研修コンサル会社に転職しました。
入社してみると、先輩からは、「会議室にこもって一日中テレアポするもんだ」と言われる。また、上司からは、「目標予算を達成しなければいけない」と結果を強要される。さらには、プレゼン資料について細かなところをネチネチ言われたりしました。
初めて開拓した研修先の研修が終わったとき、体調がわるくなり、喫茶店で少し休憩を取りました。妙に疲れる、やる気が出ない、そして、「会社に戻りたくない」という気持ちに強烈に襲われました。
翌日から3日間、会社を休みました。休み明けに、会社に行った途端、上司から呼ばれました。
「大丈夫?ところで、休んでいる間、ブログ更新していただろう?なんで、そんなことするの。そういうこと、するもんじゃない」
先輩に、私のことを知ってもらうために、ブログをやっていることを話していたのです。その話が、上司に伝わっていたのです。
「なんで、ブログを更新していることをもらしたんだ!」
「休んだ人間に、なにも気づかいもないのか!」
先輩や上司に対して、憤りと同時に、強烈な不信感に襲われました。
「信じてもらえない...」「わかってもらえないのか...」
「ここに自分の居場所はないのか...」
そういう想いにかられると、急に不安になり、ここでやっていく自信もなくなり、絶望しかありませんでした。
その後、二度目の自律神経失調症に。そして、約3ケ月の休職。毎日、不安におびえる中、妻が言ってくれた言葉が唯一の救いでした。
「大丈夫。わたしがなんとかするよ」
休職中、カウンセラーの方に、「このような状況で環境を変えることはまちがっていますか?」と質問しました。カウンセラーの方は、「それも一つの選択肢ですよ」と言ってくれました。
「ここから逃げ出せる」と思うと、エネルギーが出てくるのです。30社ほど面接して、その中の1社の研修コンサル会社の方に、正直に、いま自律神経失調症で休職中であることを話しました。結果、「素直に話してくれたことが、よかった」と採用になりました。
ところが、社長から「できる人のように振る舞いなさい。自信を持って振る舞いなさい」と言われることが多くなり、苦痛になってきたのです。
ある日、社長が、私の隣の若手の同僚に対して怒鳴り始めたのです。
「おまえ!何回もおれに、同じこと言わせんな!」 言葉以上に、社長の怒りの表情が恐怖でした。さらに、「バカはバカなりにやるべきことやれ!」と、私のすぐ横で言いました。その言葉が、私に向かって言っているように聴こえたのです。そして、恐怖でぶるっと体が震えました。
「またかよ。ここにいることが、つらい・・・」
社長への不信感と同時に、強烈なストレスに襲われました。
「このままここに居たら、また同じことが繰り返される・・・」
このとき、やっと気がついたのです。「信じてもらえない・・・」「わかってもらえない・・・」と思い込むと、相手を信じられなくなることを。 人の期待に応えなければならないと思えば思うほど、プレッシャーで、自分を信じられなくなることを。 強要されればされるほど、相手への反発から相手のことを信じられなくなることを。 本当は、自分がやりたい!想いがあることを自分自身が信じていないことを。
そうなんです。私には、自分や相手を”信じる”ことが欠けていたのです。
【信じる】ことを使命に掲げることで、いままでにない言葉を言われるようになったのです。先輩の会社の研修が終わったあと、先輩である社長の言葉にとても勇気づけられました。
「前から、地元で研修をやってくれる会社があったらうれしいと思っていたので、とても頼りになる」
「ほかのコンサルや研修講師とちがって、自分の考えを押し付けないところがすごくいい」
「社員が、外部の人と一対一で本音をさらけ出して話したのは、初めて。自分に話してくれないことも、社員が増田さんに話してくれたこと、とてもうれしいし、会社にとって大きい」
この言葉を聴いたとき、「やっと、わかってもらえた。信じてもらったんだなぁ~」としみじみとうれしくなりました。
誰にも相談できずに一人でもんもんとしている社長さんへ
「自分に自信がなくて、社員に伝えたいことを言えない・・・」
「こんな話は誰に話したらいいのか・・・」
「本音で話せる人がいなくて・・・」
そんな社長さんが、「研修後、懇親会での社員たちの会話、すごかったよね」とよろこんでいただけたら、とてもうれしいです。 そのために、社長さんだけでなく、社員の方一人一人と関わることで自分の居場所が見つかり、会社が成長することに貢献したいと思います。
私の人生をあらためて振り返ると、
親父さん、
わたしが一番尊敬しているのは、あなたです。
あなたのやさしさを今やっと実感できるようになりました。
お母さん、
あなたの人をよく見る目を授かったことに感謝します。
最後に、最愛なる妻へ
「いつも、ぼくのことを信じて、見守ってくれてありがとう。あなたの言葉にいつも背中を押してもらえました。自分のことを信じられようになったのは、あなたのおかげです。
今度は、ぼくが、あなたに恩返しをさせてください。これからも、よろしく!」
最後までプロフィール「使命の物語」、お読みくださりありがとうございました。
増田 和芳
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